となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

翻訳
著者
内藤正典
原題
★★★★
出版社
ミシマ社
公開/出版日
Jul 17, 2016
監督
Type
book
Date
Jun 4, 2019
イスラム教って怖そうだし、そもそも宗教のことってタブーっぽいし、まあ日本に住んでりゃたぶん関係ないし、なんて方に是非読んでいただきたい一冊。
と同時に、なんかこう今の世の中って世知辛いなあとか、日々疲れるなあとか、そんな方にもおすすめしたい本です。
この本を読んで初めて知ったことばかりなので私がここで上手く説明できるのか自信がありませんが、結論から言えば、イスラムの人たちも私たちもなんら変わりはないのね、ということがよく分かりました。
そして同時に、人間は神様(とか教会とか因習とか色々)に縛られず自由な個人として独立して生きていくべきだ、という近代西洋の考え方のみを是とすると、そりゃまあイスラムの人たちの生き方は理解できないよなと納得。
西洋ならびにいまの日本などで良しとされる考え方といえば、人間ってやつは自然にも神さまにも自分にも打ち勝ち、自らの居場所を切り拓き、自己の利益と幸福を追求し、独立独歩・自己責任でやっていくことこそ正しい!…なんてとこかなと思います。新しいこと、速いこと、強いことがよしとされる世界…って感じでしょうか。
かたや、イスラム的な「よしとされる世界」は、神が預言者に下した啓示を記した「コーラン」と、その預言者の言動をまとめた「ハディース」に従っているかどうか、ということらしい。
お酒は飲んではいけないとか、女性はスカーフをかぶりなさいとか、来世で天国に行けるよう善行を積みなさいなどなど、一言で言えば神様に従うことがいいこと、という価値観。そうして善行を積めば、来世で天国に行けますよ、と。
当世流行の「自己責任」「自己実現」の正反対です。
いいことも悪いことも神様が決めたこと。例えば、病気になってもなんで病気になったんだろう、とか悩まない。それは神様が決めたことであって、自分があの時ああしたからだとか悔やまない。
まあたしかにそう言われたらそうかもなと思います。
病気になったのは自分のせいと言うなら、逆に自分の意思で病気にならなかったり、病気を治したりできるはずだもの。
でも実際は、どんなに健康に気をつけてても病気になるし、どんなにいい人でも事故に遭うこともあるし、災害にも遭うし、そもそもいつかは老いて死ぬんだし、それを全部「自己責任」なんて言われてもとても無理。
悲しいかな世の中には因果関係の分からないことが山ほどあって、その世の中の不条理全部に一人で対応するなんて不可能な話です。
より生き延びられるように人は社会を作ったはずなのに、当世流行の自己責任論は弱者を蹴落とすための方便になってしまっている。誰だってかつては赤ん坊だったんだし、生きている限り必ず老人になるのにねえ。
それにしても、こういう考えってなんか聞いたことあるぞ…と思ったら、あれです、浄土宗の「他力本願」じゃあないですか。イスラム教って一神教だからキリスト教っぽいのかと思ったら、むしろ仏教に近いではないか!と私は目からウロコがボロボロおちました(……とか言ってもまあ、宗教について語れるほど勉強してないので、全然違ってたらすみません)。
あと、個人的にいちばん驚き、かつ大事だなと思ったのは、イスラム教では「人と人の間に線を引かない」ということ。
あいつはああだから、とか、こいつはこうだから、とか、そうやって線引きしてしまうこと自体がいさかいの種にしかならない。
ていうか、ニュースとかみてるとこの線引きすること自体が諸悪の根源じゃないかって思えてくる。
性別も人種も年齢も宗教も趣味嗜好も、神様の前では一切関係なく、ただ各人は一対一で神様と対峙するのみ。
私はイスラム教徒ではないから、例えば「神様」を「良心」と読み替えてもいいかもしれない。そう考えると、大抵の争いごとはずいぶんと収まるんじゃないだろうか。
……なんて、甘っちょろいですかね。
まあ、なんて言いつつもそうやって自らを省みると、いかにいろんな物事に線引きをしていたかってのに思い至り、恥じ入るばかりです。
でもちょっと新鮮な目線で物事が見れそうな気がしました。いい本でした。