アニメ版『この世界の片隅に』を視聴。あ、「さらにいくつもの」の方じゃなくて、第一弾の方です。この映画を見るのは今回で二度目で、一度目は公開当時に映画館で見たので、実に4年ぶりでしたね。うう、もうそんなになるのか……。

本作についてはもうあちこちで語り尽くされてるのでアレなんですが、まあ思ったことなど、つらつらと。

まず原作なんですが、こうの史代さんは本当に才気ほとばしる人で、初めて読んだ時から別格だ!と思っている大好きな漫画家さんです。

漫画が(基本的には)モノクロであること、コマ割という漫画独特の文法、ページをめくる間合い、などなど、漫画というメディアの歴史や特性を存分に活かしたうえで、さらに実験的な表現をされています。『この世界の〜』では、すずさんが右手を無くしたあとの背景をこうのさん自身が左手で描いたそうですが、もうこのひと天才かよ!と思いました。他にも工夫が盛り沢山だし話は面白いし絵は上手いし、心底えげつない(褒めてます)漫画家だなと感服しきりであります。

ということで、これがアニメ化されると聞いた時には、いやいやちょっと無茶だろう……というか、アニメ化なんてやめてくれよというのが正直なところでした。あの素晴らしい完成度の漫画、漫画じゃなきゃできない表現満載の『この世界の〜』を、アニメにしてどうすんねん!みたいな。

しかし、そこはさすが『マイマイ新子』の片渕監督。いざ見てみると、逆に「アニメにしてくれてありがとう…」くらいの勢いで素晴らしい映画に仕上がっていたのでありました。

ぐりぐり動き回るわけではない登場人物たちの生活の中の地味な動き、ものの重たさ、風の吹き方、その他もろもろ、ありふれた、でも描くのは超絶難しく手間のかかる動きを、ケレン味なくさらっと表現していて、この監督は変態かな?(褒めてますってば!)と思いました。

漫画になくてアニメにあるのは、色と音と時間軸(もちろん漫画でも時間は流れますが、読者のタイミングで進む漫画とは違って、映像は強制的に時間が流れていく、という意味で)ですが、その辺りが抜かりなく演出されていて、とてもよかったです。漫画原作付きのアニメって、「アレもしかして漫画のコマ切って絵コンテにしました?」っていうくらい工夫のない作品、たまにありますからねえ……。そーいうのとは根本から違って、映像に必要なものを補完し或いは省略し、すっごい手間暇かけて「普通の世界」を映像化したのは本当にすごい。淡々とした日常が、戦局が悪化するにつれて目に見えないところで徐々に崩れていく感じがね…、すごくいい。すごいすごいって馬鹿みたいに言い過ぎなんですけど、すごいとしか言えないんですよねえ。

すずさんの声も最高でした。のんちゃん以外考えられないってほどハマってました。

個人的にのんちゃんは怨嗟のこもった声がイイと思っていて、晴美ちゃんと右手を失い布団の上で呆然としているすずさんに「去年の何月には何何をした右手」というのを何重にも重ねた場面は、ほんとに怖くてよかった。

「さらにいくつもの」も見なきゃなあ……。と思った次第です。アニメとして文句のつけどころのない素晴らしい作品でした。


で、ここから先は、もんのすごい蛇足なんですけど、アニメとして作品が素晴らしいが故に、反戦映画とか戦争映画とかいう文脈で見ると、逆にちょっと怖いところがあるなとも思いました。この点についてもいろんな人が指摘してるので、これまた今更なんですが、今回見直して改めて感じました。

なんというか、この作品が素晴らしいからといって、戦争を美化して欲しくないなと思うのです。あの戦争中、人々は一生懸命生きていたし兵隊も一般人も数え切れないほど死んだわけですが、その個人個人の「一生懸命だった」ことのみが切り取られ、「懸命に生きた姿は美しかった」と物事が単純化されてしまうことを、私は怖れます。

大和や青葉をはじめ、円太郎(北條のお父さん)が働いていた呉で作られた戦闘機も、人々が努力し技術を追求して生まれた素晴らしくカッコいいものなのかもしれませんが、それはあくまで兵器だということを忘れたくない。子供たちが軍艦を見て喜ぶなんていう状況は、実はかなりエグいというか、グロテスクな社会構造なんじゃないかと思うんですよね、私は。だから、Twitterでちょい話題になっていた、「さらにいくつもの」の上映館ですずさんの絵入りの大和の模型を売ってたってのには目を疑ったというか、腰が砕けたというか、……まあ平たく言えば、その無邪気さにドン引きしました。と同時にまあそう来るよな、とも思ってしまったんですけどね…。

原作では、日清戦争以前から発展してきた呉の軍港としての歴史を紹介する数ページがあって、そこで軍用機のエンジン開発をしている円太郎の誇らしそうな笑顔とともに、冷徹な(作者のものと思われる)独白が入ります。

「それは確かに誰かの夢」「誰かの夢であり」「同時に誰かの悪夢でもある」

ああ、そういうとこやな、と思うんですよ。ここは映画だと端折られてるんですけどね。

この映画はあの時代の普通を描くが故に、どうしても大和も青葉も「カッコいいもの」のままなんですよね……。終戦後の青葉も牧歌的に空に浮かんじゃったりして、それはちょっと違うんじゃなかろうかと、私は思います。まあでもあの青葉の表現は原作も一緒なんですよねえ。なんでああしたんだろうな…(船と飛行機で違うんですけど、『紅の豚』は逆にその辺がすごいよくて、死んだ飛行機乗りたちがずーっと空高く飛んでいくのは屈指の名場面だと思う)。

戦争だとか災害だとかの非常時に頑張った個人を褒め称え、それに対するいい話だねいい人だねという素朴な共感につけこんでくる暴力的で小狡いものの存在に、もっと警戒しなくちゃいかんのじゃないかと思うのです。そもそも、そういう個人が犠牲になんなきゃいけないような状況を作ったのは何なのか誰なのか、その構造を見ないと騙されちゃうぞって思います。普通の人の感覚にやんわり差し挟まれる暴力やシステムこそが、この作品に描かれたような、暮らしの幸せを破壊するものだからです。

作中で北條のお母さんが言うように、みんなが笑って暮らせるのがいちばん。そのために、私たちはかしこくならねば。


アニメーションとしての評価とはちょっとズレちゃうことを、長々と書いてしまいましたが、映画は本当に素晴らしいので未見の方は是非見てみてください。で、映画しか見てない人は、是非漫画も読んでみていただければと!こうのさんの他の作品も超おすすめですー。