今回の「ローラの祈り」は、かなりキリスト教に則ったっぽいお話だったので、いろいろ気になるなーと思い、ちょっと調べてみました。とはいえ、私のキリスト教知識は昔々の大学時代の西洋美術史と、ぼちぼち読んでる一般書程度の知識しかないので(そしてクリスチャンでもない)、いろいろ間違ってたらスミマセン。

ということで、まあ要するに、以下はほぼ自分用メモです。


さて、「ローラの祈り」。原題は「The Load is my Shepherd(主は私の羊飼い)」で、これは旧約聖書の詩篇23篇(ダビデの賛歌)のこと。マンケイトの病院でフレディ(チャールズだとややこしいので、こう呼びます)の死を知ったとき、父さんと母さんが祈る言葉です。

「主は私の羊飼い、私は乏しいことがありません……(中略)……死の陰の谷を行くときも、私はわざわいを恐れません」

かなり有名でいろんな作品によく出てきますが、内容としては、ダビデ王が自らを弱き存在(羊)であるとへりくだりながら、主と共にあること・主に従うことを讃えるものです。そういう信仰を頼りに、二人は息子の死を乗り越えようとします。実際に、フレディの死を知って泣くメアリーに「これでいいのよ、主の思し召しなんだから」と母さんが言いますね。この台詞は、まさにこの23篇の教えそのもの、そしてこの回の後半は、ローラが「主の思し召し」を確認しに行く話になっています。

ローラはフレディの死の原因は自分の悪い行い(自分の寂しさ・嫉妬心にとらわれて、フレディの快復を祈らなかったこと)だったと悔いて家を抜け出し、できる限り神に近づくために山に登り、自分が神の元に行く代わりに、フレディを父に返して欲しいと祈ります。

「神様にはもう息子(キリスト)が一人いるでしょう? 今度は娘が欲しくないですか」

父(チャールズ)と子(フレディ)の損なわれた関係を、自らの犠牲によって復活させようとするわけです。

この祈りを確実に届けるために、ローラは神の近く=高い山に登ります。この行為も(オルデン牧師の発言がきっかけの幼い発想とはいえ)、キリストの「山上の説教」を連想させます。

そんな山の上のローラを助けるのが「ジョナサン」というのも、なかなかに示唆的でした。プロテスタントにはジョナサン・エドワーズという有名な神学者・牧師がいますし、ジョナサンという名前はダビデの親友・ヨナタンが由来。ヨナタンは「神は与える」という意味で、やはり神の使者というイメージを持たせているのかなあと思います。

ジョナサンが語る、雨は天の涙だというのも自己犠牲の話でした。仲間のために天の者が泣くことで、雨が降り、地上が潤う。そんな話をしながら雨の恵みである川で水浴びをしているとき、ローラは十字架を流してしまい、ジョナサンの見つけた傷ついた鳩に出会います。

キリスト教において、鳩といえば聖霊の象徴ですね! ここに来て、父と子と聖霊という三位一体のモチーフが揃いました。

傷ついた鳩を手当てし、焚き火のそばに置いてやりながら、ジョナサンは誰もが傷ついた生き物を助けるわけではないとローラに話します。「忙しい人は通り過ぎてしまう。いつも頭にあるのは自分のことばっかりなんだ」。これはマンケイトの病院でキャロラインが窓の外を見ながらつぶやく言葉とほぼ同じです。「みんな急いでいるのね。どの人もすごくせかせかしている。そんなに大事な用があるのかしら」。

そういう人間たちのことを神は怒るのではなく悲しんでいる(つまり、そんな愚かな仲間たちのためにも泣いてくださっている)とジョナサンが語り、さりげなく川での話を補完します。

そして翌日、大きな火を熾すというジョナサンの提案によって、ローラは再びチャールズに出会い、和解がなされました。

この親子の関係復活と同時にジョナサンも鳩も姿を消しますが、実は鳩はちゃんと快復しており、このあと誰も見ていないところで再び晴天に羽ばたいて行きます。

ローラが我が身を顧みず他者のために祈り、また傷ついた鳩を助けることで聖霊は復活し、父と子らの関係も修復された、というわけです。この時の父と子とは、おそらくチャールズとローラやフレディだけではなく、同時に、主とローラ、主とチャールズなどのことでもあり、彼らの関係の回復が「主は決断を下された」というジョナサンの力強い言葉で宣言されます。

かくして、一度は損なわれた父と子と聖霊という「三位一体」は復活し、神の存在があきらかとなった、ということですね。


うーん。私はこんな感じで解釈しましたが、いかがでしょう。

こうやって作品を分解?というか分析??(ってほどでもないんですが)してみると、ホントにこのドラマは脚本がしっかりしてるな、と思います。これってこういうことかな?と思いついて突っ込んでいくと、大抵ちゃんと納得する答えがあるんですよね。話の筋に無理がない。

今回は宗教でしたが、こういうバックボーンのある物語は強いなと改めて思いました。

古くさいとか説教くさいとか言われるのかも知れないけど、でも、こういう王道があればこそ変化球も生きるわけで、こうやってしっかり作られたを子どもの頃から見ていたことは幸せでした。

これからも楽しみに見ていきたいなと思います!