昨日は8月15日だったので、「日本のいちばん長い日」についてなど。

岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」は、『大本営機密日誌』をもとに書かれた半藤一利のノンフィクション『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』が原作の映画(※1)。

1945年8月14日〜15日のわずか24時間の間に起こる、ポツダム宣言受諾から宮城事件(陸軍将校らによるクーデター未遂事件)、玉音放送開始までをスリリングに描きます。

映画としてはたいへん出来がよく、めちゃくちゃ面白い作品でした。157分とやや長めの作品であるにもかかわらず、ぐいぐい引き込まれ、ダレずに一気に見られます。メリハリの効いたモノクロの画面、テンポの良い切り替え、超豪華な俳優陣。そして何よりあの構図の格好良さ!

岡本喜八ファンの庵野秀明はこれをベースに『シン・ゴジラ』を作ったそうですが、たしかに元ネタはこれだったんだな、というのがよーーーくわかりました(別に悪い意味じゃなくて、庵野監督ってほんとに岡本喜八ファンなんだな、と納得)。

作品全体を通じて強烈だったのは汗で、出てくる俳優陣の汗がすごい。もう、とにかくみんな汗だく。

そりゃ今みたいに38度とか39度とかの猛暑じゃないにせよ、クーラーもない1945年の8月、軍人も民間人もシャツの上に上着を着てぴちっとボタン閉めて、そりゃ汗だくだくになりますよね。

あれは演出なのか本当に汗をかいているのかわかりませんが、駆け回る将校たちなんかは上着の肩から胸や背中にまで汗がにじみ、「暑い」と口にはしないんですけど、緊張感と相まって、見てるこっちの息が詰まりそうでした。

そして、その汗にまみれた軍服が、ただの暑さの表現というだけではなく、軍隊そのものの象徴なんだなと実感され、とても印象的に残りました。軍服という制度に押し込まれ硬直した身体(と個人)というのは、軍隊という仕組みそのものなんだな、と。

例えば、この映画の中でおそらく唯一考えを変える井田という少佐がいますが、彼はその時の心情に合わせて軍服を脱いだり着たりします。

井田はポツダム宣言受託を陸軍が受け入れたと知るや上着の詰襟を外し、次の登場場面ではシャツ一枚で寝椅子に寝転がっている。自らも含め市谷の将校は全員自決すべしと考え、軍事機密を焼かせる際には(おそらく部下がいるので)上着に再び袖を通すものの、シャツの襟元をゆるめ、ズボンのポケットに両腕を突っ込み、半ば自棄のような拗ねたような表情でぶらぶらしている。そんな格好のまま一度目の畑中からの決起の誘いは断るが、再度の誘いで徹底抗戦と肚を決めてからは、再び軍服をキチッと着込み、元の軍人然とした顔つきに戻り東部軍へ向かいます。

よくある演出なのかもしれませんが、井田の変わり身をよく表してるなあと感心しました。

それから、汗以上に鮮烈なのが、血。

森少将殺害と阿南陸軍大臣自刃の場面の血の物凄さ。モノクロであればこその強調された白と黒。殺害と自刃という正反対のベクトルでありながら、白い服を着た両者はどちらも血を大量に吹き出して死んでいきます。その姿は、なんというか、まさに「このようにして生き物が死ぬ」という、身体から命が流れ出していく実感を嫌というほど見せつけます。特に切腹した阿南の後ろ姿に差す朝日、そこにかすかに阿南(の臓物、たぶん)から立ち昇る湯気が見えるなんて、生々しいの極地です。

軍隊特有の痙攣的な歩き方、緊張した顔つき、芝居がかった口調、全てが制服に緊縛された結果だとしたら、そこから人の意思とは関係なく滲み出てしまう汗や吹き出す血の、その隠せない動物性っていうのはなんなんだろう。
身体性を窮屈な軍服に詰め込んで、彼らが守りたかったものってなんだったんでしょうね……。

史実でご存知のとおり、14日夜半から明け方にかけての陸軍将校らによるクーデターは失敗します。翌15日、雀がさえずりセミの鳴くなか首謀者たちは自殺。ドラマチックに死んだ森や阿南とは対照的に、ほとんど時間をかけず呆気なく死んでいく。そして何事もなかったかのように正午には玉音放送が流れ、「この戦争で300万人が死んだ」と表示され、映画は終わります。

まさに大山鳴動して鼠一匹、あんなに大騒ぎして何人もの人死が出て、それでも世の中は「昨晩何かあったんですか?」と至って静か。なんという虚脱感。

映画として、本当に、完璧に面白かったです。見ていない方にはぜひ観ていただきたい。私はほとんど岡本喜八監督を見ていなかったんですが、これを機に他の作品も(特に「肉弾」を)観たい!と強く思いました。


で、ここからは余談というか、蛇足なのかもですがもう少しだけ。

この作品、公開当時も「戦争指導者を英雄視している」という批判があった(※2)そうですが、そりゃ批判されるよなというのが正直なところ(岡本喜八自身もそれは織り込み済みだったらしい)。というか、それも含めてこの映画は見るべきなんだろうなと思いました。

この映画に限ったことではありませんが、過去を題材とした作品を見る時、作品がその時代を再現すればするほど、作品の出来が良いほど、見る側はその時代の罠にはまってしまうのかなと思います。

リアルに描かれた過去の戦争を見聞きし、彼らの生き方に共感し、戦争は人ごとではないと感じることは意義深いけど、その反面、それを無批判に受け入れ同調してしまうのは実に怖い。

私たちはその過去を俯瞰できる立場にいる以上、その作品に自身を溶け込ませるのではなく、今のスタンスを保ったまま見て批判する義務がある。作品そのものを、もそうだし、この作品のように史実ベースであればその事実に対してにでも、です。その作品をどういう文脈で読むかという…、なんだろうな、ひとつ外側から見る大切さを感じます。

例えば私はこの作品を見る前に、たまたま原民喜の『夏の花(※3)』を再読していたんですが、そこには同じ1945年8月の、全く違う世界が描かれています。

『夏の花』は原自身の8月6日の被爆体験を元に描かれた小品で、ここに登場するのは、「日本のいちばん長い日」では全く発言権を持たなかった玉音放送を聞かされる側の人間たちです(『夏の花』に玉音放送の場面はありませんが)。

「日本でいちばん〜」を見て、阿南陸軍大臣の散り際が美しいとか思う人ってそれなりにいるんだろうなと思うし、なんならクーデターを首謀した畑中、ひいては帝国陸軍の「純粋さ」みたいなものを素晴らしいと思う人もいそうだなと思う。こうして男たちは熱く戦ったのだ!美しい、男のロマンだ、みたいなキャッチコピーが聞こえてきそうで寒気がします。

あの戦争において、というかまあ、あらゆる戦争において、ほとんどの人は阿南らとは違い死ぬ時も死に方も選べなかった。第二次世界大戦の日本軍に関していえば、日本軍の1/3が戦闘ではなく従軍生活の中で戦病死し自決させられ死んでいる(※4)。民間人は50〜100万人が死んだといわれている。が、彼らに決定権などほぼなかった。

それらを知ってる以上、「日本のいちばん長い日」を見て「責任取った阿南かっこいい!」とは、とても言えない。

この作品で主軸となるのは、宮城事件の戦いや阿南の自刃ではなくて、宮城事件が象徴するあの戦争そのもののバカバカしさなんだと個人的には思います。東部軍の協力を得られず、クーデターをあきらめて兵を引けと井田が畑中に言った、あの甘ったるい台詞の愚かさを批判することだと思う。

「世の中の人もな、今夜のことは苦い笑いで見過ごしてくれるだろう。
 はかない日本陸軍の最後の足掻き、真夏の夜の夢とでもな」

ここで井田の言う「夢」は、明治以降の帝国主義の元に行われた悪夢だ。井田も畑中も阿南も帝国陸軍もなんなら国民も、その夢の中に生きていた。その夢の名の下にどれだけの人・物・自然を犠牲にしてきたかを自覚せず、世間は苦笑して見過ごしてくれるだろうという楽観の、救い難いおぞましさと滑稽さ。

その悪夢を醒めた目で見ることができるのは、後世の私たちだけ。作品としても、教養としても、一度は見ておくべき作品だと思います。岡本喜八自身はこの映画の制作に乗り気ではなかったという逸話もありますが、いやもう、作ってくれてありがとう、と言いたくなる作品でした。面白かったです。


※1)一部フィクションもある模様ですが、ちゃんとした出典が見つからず…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本のいちばん長い日

※2)『シン・ゴジラ』に岡本喜八監督が登場するワケ『日本のいちばん長い日』(1967年)/シネマトゥデイ(2016年10月7日)
https://www.cinematoday.jp/news/N0086514

※3)夏の花/原民喜(1947年)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000293/files/4680_18529.html

※4)飢餓、自殺強要、私的制裁--戦闘どころではなかった旧日本軍/日経ビジネス(2019年8月14日)
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/080700039/